相次ぐ落語家の襲名 軽すぎやしませんかねぇ (asahi.com)
肝要なのは、世襲制や門閥ではなくて、先天的センスと後天的修業で磨かれた芸。頼みとするのは、寄席や落語会などの見巧者。
上の個所は同意なのですが…。
今年に入って盛んになった「団塊の世代向け金遣わせキャンペーン」の中に落語家の襲名披露興行がすっかり繰り入れられてしまったかのような印象も無きにしも非ずです。この記事はそうした風潮に反発し、とりあえず襲名した落語家さん本人と襲名を推挙した側の人たちをターゲットにして書かれていますが、やっぱりちょっとズレてしまっています。
それにしても、この記事の見出しだけを読めば、重圧を受け続けている襲名されたご当人方はむっとしそうです。軽いなんてとんでもない、記事の最後の所で持ち上げられている志ん朝みたいに「断れるものなら断りたかった…」と思っている人もひょっとしたらおられるのかもしれません。
三語楼さんの口上は、なんというか、「悲鳴」に聞こえなくもありません。いっ平や「六人の会」での正蔵の表情からも重苦しさを感じます。
推挙する人たちの方にしてもいろいろと事情もあって、この記事の見出しのように「軽い」と斬って捨てるのもどうかと思いました。
一般に名跡に関することはそのまま「お家の事情」であって、部外者が何を云ったところでどうにかなるわけでもありません。どうにもならないことをいいことに、つい、いろいろと難癖つけたくなるものです。
曰く、「小さんはもう少し待って花禄が継ぎゃあいいじぇねぇか。何をあせってやがんだ。」とか、「こぶ平は三平の方がしっくりくるねぇ。正蔵には小朝がいいに決まってらぁな。ま、おかみさんは呑めないだろうけどな…。」とか。
これはあくまでたとえ話で私がそう思っているわけではありません。